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東京地方裁判所 平成8年(ワ)18689号 判決

原告

甲野一郎

乙山二郎

右両名訴訟代理人弁護士

上本忠雄

伊豆田悦義

被告

右代表者法務大臣

中村正三郎

右指定代理人

竹村彰

外一名

被告

神奈川県

右代表者知事

岡崎洋

右訴訟代理人弁護士

金子泰輔

右指定代理人

小田重人

外七名

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告甲野に対し、各自、金一〇〇万円及びこれに対する平成八年一一月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告らは、原告乙山に対し、各自、金一〇〇万円及びこれに対する平成八年一一月八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁(被告ら)

1  主文と同旨

2  仮執行の宣言を付する場合は、担保を条件とする仮執行免脱の宣言を求める。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  神奈川県警察本部警備部公安第三課所属の警察官ら(以下「警察官ら」という。)は、平成八年七月八日午前一〇時二〇分ころ、K大学一〇号館三階の三三A号室、三三B号室、三四A号室、三四B号室及び三五号室(以下これらを総称するときは「本件各室」という。)に対する捜索(以下「本件捜索」という。)を実施し、原告甲野は三四A号室の、原告乙山は三三A号室の立会人となった。

右捜索の開始後、三五号室において鉄パイプ三本、金属バット五本、木製バット四本、金槌二本が、また、三三A号室において金属バット一本、木製バット一本が発見されると、警察官らは、同日午前一一時二〇分ころ、原告らを含む五名を凶器準備集合罪の現行犯人として逮捕した(以下「本件逮捕」という。)。現行犯逮捕の基礎となった被疑事実(以下「本件被疑事実」という。)は、「原告らは、極左暴力集団である革命的労働者協会(以下「革労協」という。)の構成員であるが、対立している組織の構成員からの襲撃に備え、これに反撃することを企て、他三名と共謀の上、平成八年七月八日午前一一時二〇分ころ、横浜市神奈川区六角橋〈以下住所略〉K大学一〇号館三五号室及び三三A号室において、対立セクトの襲撃に際し、これを迎え撃ち、その生命、身体、財産に対して共同して害を加える目的をもって鉄パイプ、バット等の凶器があることを知りながら同所に集合したものである。」である。

2  横浜地方裁判所裁判官A(以下「A裁判官」という。)は、七月一〇日、右罪により原告らの勾留を決定した(以下「本件勾留」という。)。その後、原告らの勾留は延長され、原告らは、同月二九日、勾留期間満了により釈放され、不起訴処分を受けた。

3  警察官らの逮捕行為は、次のとおり、現行犯逮捕の要件としての犯罪及び犯人の明白性の要件を欠き、違法である。

(一) 警察官らは、平成八年五月一四日に発生した日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派(以下「革マル派」という。)活動家に対する殺人事件の被疑者が革労協の関係者であるとの予断の下に、原告らに「共同加害目的」があったとしているが、仮に革労協の構成員が革マル派から何らかの報復があり得ることを一般的に予測していたと推認できたとしても、本件各室に対する襲撃の蓋然性は低かったのであるから、これに対して直ちに迎撃するとの意図まで等しく有していたと推認することはできず、警察官らが「共同加害目的」の存在を認めたのは、推論を重ねた結果の虚構である。

まして、原告らは、本件逮捕当時、本件捜索の立会をする意図で本件各室に在室したのであって、「共同加害目的」のもとに在室していたのではない。

(二) 本件各室は、それぞれ隣接しているが、構造上、各室の出入口が別個に存在し、隣室とはコンクリート壁によって仕切られた独立した部屋であり、本件逮捕当時、原告甲野は三四A号室、原告乙山は三三A号室において、個別に本件捜索の立会いを行っていた。

したがって、原告らが、本件逮捕時点で、共同加害目的をもって「集合」していたとはいえない。

(三)(1) 鉄パイプ三本と金属バット四本は、スポーツバッグないしバットケース内に収納されて存置されており、その他の物品も、整然と一箇所に存置されずに室内の各所に放置されていたのであるから、これらの物品が、共同加害目的に使用しうる状況に「準備」されていたと認めるべき根拠はない。

(2) 本件捜索開始から本件逮捕までの間、原告甲野は、「凶器」が発見された三五号室及び三三A号室には立ち入っておらず、原告乙山も、鉄パイプ等が発見された三五号室には立ち入っていない。特に鉄パイプは、入口付近の机の上に置かれたスポーツバッグの中に収納されていたのであり、本件当日、何者かによってたまたま持ち込まれた可能性も十分考えられる。したがって、本件逮捕当時、原告らが三五号室内の凶器の存在を「知って」いたと認めるべき根拠はない。

4  A裁判官は、本件逮捕が「犯罪及び犯人の明白性」の要件を欠く違法なものであることを看過し、さらに、「罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」が存在しないにもかかわらず、漫然と勾留を決定したものであり、右勾留決定には重大な違法が存在する。

5  原告らは、本件逮捕及び本件勾留により、精神的苦痛を被った。

右苦痛を慰謝するには、一〇〇万円が相当である。

6(一)  A裁判官は、勾留決定等被告国の公権力の行使に当たる国家公務員であり、違法な勾留決定により、その職務を行うについて、原告らに損害を加えたものであるから、被告国は、国家賠償法(以下「国賠法」という。)一条一項に基づき、原告らが被った損害を賠償する責任がある。

(二)  警察官らは、被疑者の逮捕等被告県の公権力の行使に当たる公務員であり、違法な逮捕により、その職務を行うについて、原告らに損害を加えたものであるから、被告県は、国賠法一条一項に基づき、原告らが被った損害を賠償する責任がある。

7  よって、原告らは、被告らに対し、国賠法一条一項に基づき、各自、金一〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成八年一一月八日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否反論

1  被告国

(一) 請求原因1は知らない。

同2のうち、原告らが、平成八年七月二九日、勾留期間満了により釈放され、不起訴処分を受けたことは知らないが、その余は認める。

同3(一)(二)(三)は知らない。

同4は否認する。

同5は知らない。

(二) 裁判官の職務行為が、国賠法一条一項にいう「違法」とされるためには、裁判官がした行為に上訴等の訴訟法上の救済方法によって是正されるべき瑕疵が存在するだけでは足りず、「当該裁判官が違法又は不当な目的をもって裁判をしたなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認め得るような特別の事情があることを必要とする。」(最高裁昭和五七年三月一二日第二小法廷判決・民集三六巻三号三二九頁)のであり、これは、広く裁判官の職務行為一般に妥当する。原告らは、A裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したと認め得る特別の事情について何ら主張していないのであるから、主張自体失当であり、棄却されるべきである。

2  被告県

(一) 請求原因1、2は認める。

同3(一)のうち、平成八年五月一四日、革労協関係者による革マル派活動家に対する殺人等の被疑事件が発生したこと(以下「本件内ゲバ事件」という。)及び右事件の発生が原告らの共同加害目的の背景の一つであることは認めるが、その余は否認する。

同3(二)のうち、原告らが、本件逮捕時点で、共同加害目的をもって「集合」していたとはいえないことは否認し、その余は認める。

同3(三)(1)のうち、各物品の存置状況は認め(ただし、金属バット四本が収納されていたバットケースは、蓋が解放されており、在中のバットのグリップ部分が外部に露出していた。)、その余は否認する。

同3(三)(2)のうち、本件捜索開始から本件逮捕までの間、原告甲野が凶器が発見された三五号室及び三三A号室に立ち入っていないこと及び原告乙山が鉄パイプ等が発見された三五号室に立ち入っていないことは認めるが、その余は否認する。

同4は知らない。

同5は知らない。

(二) 原告らが、革労協の活動家であること、革労協と革マル派は、昭和四五年ころから対立抗争を繰り返しており、平成八年五月一四日の本件内ゲバ事件以降、両者の関係が緊迫化していたこと、特に革労協は、同派活動家に、防衛、迎撃を呼び掛け、同活動家は、K大学構内において、本件内ゲバ事件の犯行を自認する立看板を掲出したり、鉄パイプが在中していると思われるスポーツバッグを肩から下げて活動し、防衛ないし迎撃に努めていることが窺われたこと、三五号室は要塞化されており、他の四室とともに、革労協活動家が排他的に支配していたこと、三五号室において鉄パイプ等が発見され、その形状、存置状況等からして、人を殺傷する目的で準備されたと認められることからすれば、原告らを凶器準備集合罪で現行犯逮捕した判断に誤りはない。

第三  証拠

本件記録中の証拠関係目録の記載を引用する。

理由

一  A裁判官が平成八年七月一〇日凶器準備集合罪により原告らの勾留を決定したこと、その後、原告らの勾留が延長されたことは、原告らと被告国との間において争いがない。

請求原因1、2の事実(本件捜索、逮捕、勾留、不起訴処分)、平成八年五月一四日に革マル派活動家に対する殺人事件が発生したこと、右事件の発生が原告らの共同加害目的を認定する上で背景の一つになったこと、本件各室はそれぞれ隣接しているが、構造上、各室の出入口が別個に存在し、隣室とはコンクリート壁によって仕切られた独立した部屋であり、本件逮捕当時、原告甲野は三四A号室、原告乙山は三三A号室において個別に本件捜索の立会いを行っていたこと、凶器とされた物品の存置状況、本件捜索開始から本件逮捕までの間、原告甲野が凶器が発見された三五号室及び三三A号室に、原告乙山が鉄パイプ等が発見された三五号室に立ち入っていないことは、原告らと被告県との間において争いがない。

二  右争いのない事実と証拠(甲一、二号証の各一部、三、四号証、丙一ないし八号証、一〇号証、一四ないし二四号証、二六ないし三一号証、証人竹内捨昭、原告甲野本人及び原告乙山本人の各一部)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められ、右認定に反する甲一、二号証の記載並びに原告甲野及び原告乙山各本人尋問の結果は、前掲各証拠に照らし、たやすく信用できないし、他に右認定を左右する証拠はない。

1  革労協は、昭和四四年九月に結成された勢力約四〇〇名の団体で、狭間嘉明を指導者とし、機関誌「解放」を月二回発行している。また、本部事務所を東京路杉並区下高井戸〈以下住所略〉「現代社」に置き、地方事務所として神奈川支社(川崎市)、関西支社(大阪市)、九州支社(福岡市)を置いている。

革労協は、日本社会党から分裂した団体で、権力を奪取するには根本的には暴力革命しかないとする独自の革命理論に基づき、機関誌等で公然とその暴力性を打ち出し、抗議の集会、デモ、テロ・ゲリラ活動等を活発に展開し、犯行終了後は、「軍報」と題した犯行声明を報道機関へ郵送したり、集会で犯行を自認する他、機関誌、ビラ等での犯行声明を大々的に行ってきた。

革労協は、昭和五六年ころから、K大学を神奈川県内の重要な拠点とすべく、その学生自治会を掌握するため、他大学に在籍していた同派の活動家を、K大学の入学試験を受けさせて、同大学の学生として送り込み、同大学全学自治会(以下「全学自治会」という。)の委員長、常任委員等の役員ポストの獲得に努めてきた。その結果、全学自治会は、革労協活動家によって運営されていた。

例えば、平成八年一二月六日に開催された自治委員総会において、「K大を全人民解放の砦にうち固めよう。」「反革命革マル、ファシストの敵対を粉砕し革命的自治会運動の前進をかちとろう。」との議案が可決された(丙二の「解放」)。また、解放平成八年六月一日号には、革労協が「全国大学で拠点建設の前進をかちとる。」として、K大の名前をあげ、「全学連は、革マル・ファシストをなぎ倒し、プロレタリア権力闘争の道を一路邁進する。」という記事が掲載されている(丙五の「解放」)。

右全学連とは、革労協の一組織である全日本学生自治会総連合(以下「全学連」という。)のことであり、全学自治会及び後述するM大学学生会は、いずれも全学連に加盟している。全学連委員長の広田健一は、平成八年二月一八日の革労協政治集会に参加し、「反革命革マルを一兵残らずせん滅する。プロレタリア国際主義と本格的権力闘争で今春期決戦を闘いとる。」と宣言した(丙三の「解放」)。

全学自治会は、本件各室を管理し、その活動の拠点としていた。

K大学は、右に対する対応に苦慮し、昭和五六年以降、全学自治会及び大学祭実行委員会を非公認とするとともに、同自治会の自治会費の代理徴収を撤廃した。

2  原告甲野は、昭和六三年、M大学に入学し、平成三年一二月から平成七年一二月まで革労協の全国拠点であるM大学学生会中央執行委員会(以下「M大中執委」という。)委員長として活発に活動し、平成六年ころからは、革労協の本部である「現代社」本社に出入りし、平成七年七月には、M大学に学籍を有しながら、自己の住民登録を「現代社関西支社」に移した。平成八年三月、M大学を除籍された後、同年四月、K大学を除籍された革労協活動家の丙川薫(以下「丙川」という。)と入れ代わりに同大学に入学し、同年五月からクラスの自治委員となり、自治会活動を担ってきたほか、革労協の政治集会にも参加していた。

原告乙山は、平成四年にK大学に入学し、入学後、丙川にオルグされ、平成四年五月にクラスの自治委員となって以降、自治会活動に携わってきた。平成五年四月七日、丙川と共にPKO派遣阻止闘争の無許可街頭デモに参加して、北海道千歳警察署に道路交通法違反で逮捕されたほか、革労協の政治集会にも参加していた。平成五年一二月から平成六年三月まで全学自治会委員長をつとめたが、平成六年四月から休学したため、委員長職をつとめることができず、平成七年一二月、副委員長に選出され、平成八年三月、当時委員長だった丙川が除籍されたため、同年四月から、委員長代行をつとめていた。

3  革労協は、革マル派との党派闘争を対権力闘争と並ぶ「日本革命の不可欠の一環」と位置づけ、両者の間では、昭和四八年九月、K大学内における革マル派による革労協襲撃事件以来、相互に報復、再報復の殺傷事件等を繰り返しており、その件数は、本件内ゲバ事件を含めると、二一件に上り、革労協活動家に二名、革マル派活動家に二四名の死者が出ていた。

4  平成八年五月一四日午後八時五五分ころ、横浜市青葉区において、ヘルメット、覆面(ストッキング)、マスク姿の一〇数名の者が、革マル派の活動家らを所携の鉄棒様の棒で滅多打ちし、男性一人を殺害、他六名の男性に重軽傷を負わせた事件(本件内ゲバ事件)が発生し、同月一八日、革労協解放(狭間)派の非公然組織である「革命軍」が、報道機関に対し、「丁田太(三四才)を革命的テロルで完全打倒!他六名を徹底せん滅」などと、右犯行を自認する内容の「軍報」(丙四)を送付した。

5  革労協は、本件内ゲバ事件の犯行前から、「解放」誌上で、「反革命革マル派を解体絶滅しよう。」(丙一ないし三)などと革マル派への報復を呼び掛けていたが、右事件以降、右表現はさらに激化し、本件内ゲバ事件の犯行を自認し、その犯行状況を詳細に論じた上(丙五ないし七)、「革命軍の五・一四戦闘につづけ。」「反革命革マルをさらにせん滅せよ。」「われわれの報復は無制限である。」「戦闘員といわず指導部といわず革マルと名のつくものはすべて完全せん滅あるのみだ。革マルとの血みどろの戦闘こそ、党を鍛え、軍を鍛え、労働者人民の武装と革命へのたたかいを鍛えあげる。(中略)五・一四戦闘に動転した革マルのあらたな反革命テロ襲撃を迎え撃ち、さらにさらにせん滅しようではないか。」(丙五)「同志諸君。われわれは革マル解体絶滅へむけて不退転の決意で進軍する。(中略)特に公然領域では対権力そして革マルの反革命襲撃に身構え鉄壁な防御・迎撃態勢を確立しよう。(中略)全党―全潮流つらぬいて戦闘術、防御術に習熟し、武闘訓練を日常的におこなおう。」「とりわけ拠点における日常活動の組織的点検を強化し、権力・革マル・ファシストによる反革命テロルの策動、革マルスパイの接近を攻撃的に摘発、粉砕しよう。」(丙六)などと、革マル派に対する第二、第三の犯行をほのめかすとともに、同派からの攻撃に対する防御、迎撃を呼び掛けるようになった。

これに対して、革マル派も、その機関誌上で、「五・一四謀略殺人襲撃に断固たる反撃の烽火」、「青解派を解体しつくせ。」(丙八)などと、革労協に反撃する旨を表明し、両者には、厳しい緊張状態が発生していた。

6  原告らは、平成八年五月一九日、植樹祭粉砕集会に参加した。同集会は、革労協の分科会的組織である反戦・反安保・反天皇―PKO派兵阻止実行委員会が主宰した集会で、M大中執委が、本件内ゲバ事件を支持し、革マル派を解体絶滅する旨のアピールを行った(丙一四の「解放」)。

7  原告甲野、丙川ら革労協の活動家五名は、同月二一日、革命軍が本件内ゲバ事件を敢行したこと及び革マル解体絶滅戦に総決起することを呼び掛けた「軍報」(丙二一)を貼付した立看板をK大学内に掲出した。

8  原告甲野は、同年六月二五日、他二名とともに、第四八回全学連大会の立看板を掲出したが、その際、ヤッケ、マスクを着用し、本件で鉄パイプが在中していたバッグと同様の布製のバッグを携行していた。

神奈川県警察本部警備部公安第三課警部竹内捨昭(以下「竹内」という。)は、K大学職員から、右バッグには鉄パイプ様のものが入っているという情報を入手した。

9  竹内は、本件内ゲバ事件の捜査を進め、前記4ないし7の事実を把握したので、同年六月一九日、被疑者不詳に係る殺人、殺人未遂、凶器準備集合等の被疑事件(本件内ゲバ事件)の容疑で、革労協活動家が排他的に利用している本件各室及び同所に在室する者の身体に対する捜索差押許可状の請求を行い、同日、その発付を受けた。

10  竹内は、同年七月八日午前九時四五分ころ、警察官らとともにK大学に到着し、同日午前一〇時二〇分ころ、三三A号室の前の廊下あたりで、捜索に来たことを告げたが、室内から誰も出てこなかったので、三三A号室から順次確認することになった。

同室は、ドアに錠がかけられておらず、竹内が、室内を見ると、原告乙山が在室していた。三三B号室、三四A号室はダイヤル錠が掛かっていた。三四B号室は、ドアの鍵がなかったので、竹内が、中を覗いてみたところ、暗いために在室者の有無が確認できず、声を掛けたが、応答はなかった。

竹内が、三五号室前に行くと、原告甲野及び丙川が立っており、三五号室のドア前に立ちふさがったまま、令状の提示を求めてきた。その時、戊沢寛が、同室内から飛び出してきて、同室のドアを施錠した。結局、本件各室について指定した各立会人に対し、令状を提示することになり、三五号室は丙川、三四B号室は戊沢、三四A号室は原告甲野、三三A号室は原告乙山が立会人となることになったが、三三B号室の立会人が不足していた。

竹内が、室内に照明設備のなかった三四B号室に懐中電灯を照らしながら入ると、部屋の奥に、山川強及び海野光(以下「海野」という。)が潜んでいるのを発見した。そこで、山川が三三B号室の立会人となり、海野は、丙川と二人で三五号室の立会人となることになった。

原告甲野、原告乙山以外の立会人は、当時いずれも本名を隠し、丙川は丙崎良江、海野は海村健、戊沢は戊田進、山川は山村貢という偽名を名乗っていた。また、右各立会人は、いずれも革労協の活動家であり、K大学の学籍を有していなかった。

海野と戊沢寛は、紐付きの笛を首に掛けたり、手に持っていた。

なお、当日は、正午から平成八年前期の自治委員総会の開催が予定されていた。

11  本件捜索は、部屋ごとに異なるが、概ね午前一〇時二三分(三三A号室)ころから同三五分ころ(三三B号室)までの間に開始された。

本件各室のダイヤル錠は、いずれも大学側ではなく原告らが取り付けたものであった。三三A号室は、原告乙山が、当日の朝、ダイヤル錠の番号を合わせて開錠した。三三B号室は、山川強が、本件捜索の際、原告甲野からダイヤル番号を聞いて開錠し、三四A号室及び三五号室は原告甲野が開錠した。三四B号室には錠がなかった。

本件各室は、出入口も別個に存在し、互いにコンクリート壁で仕切られているが、互いに隣接し、間口は約五メートルであった。

12  三三A号室の東側の壁に打たれたベニヤ製の掲示板様のものには、「K大においてマル学同革マル派が登場しようとするならただちにせん滅する。」とマジック様のもので書かれている。

同室の西側のサッシ戸は、目隠しのため、摸造紙様の白色紙で外部から室内が見られないように工作されている。さらに、五段式収納ダンスの中に、「解放」が在中した。

また、同室西側に置かれた机に金属バット一本が、同室北側壁の黒板下方に木製バット一本が、それぞれグリップ部から元尻部にかけて白色布テープ様のもので巻かれ、グリップ部を上側にした状態で立て掛けられている。ボール及びグローブは存在しなかった。

13  三五号室は、ドア横の両壁に、全学連定期全国大会等の革労協に関するポスターが貼付されていた。右ドアには、丸ラッチ一個、ドアチェーン二個の合計三個の内鍵が設置され、ドア横の壁には覗き穴がある。また、出入口付近にスチール製棚及びスチール製ロッカーを配して、一辺は幅四五センチ、もう一辺は幅二九センチのクランク状の通路を作り、人一人が斜めを向かなければ通過することができない構造とした上、更に、その幅が広がらないよう、右ロッカー等を相互に針金で連結していた。また、同室の外部に接する窓は、内側から鉄板等で遮蔽されていた。

同室内には、①南東側机の上に、木製バット一本、ヘルメット二個(内一個には「全学連」との記載がある。)及び合板製戸板でつくられた楯、②同机の下に、段ボール等に収納されたヘルメット二〇個(内七個には「全学連」との記載がある。)、③右机に接するファンシーケース前に、元尻部を上にして立て掛けてある金属バット五本(内四本は、蓋が解放されたバットケース内に収納されている。)と木製バット三本、④右ファンシーケースに接する机の下に、金槌二本、⑤南東側机の上の二個のスポーツバッグ内に二段伸縮式鉄パイプ三本と、清涼飲料水の空瓶六一本、⑥南側窓ガラスに貼り付けられている摸造紙上には「全学連…」と記載されたビラ六枚が存在した。

右バットは、一本を除いて、いずれもグリップ部から元尻部の先端まで滑り止めのテーピングが施されており、元尻部を上にし、ヘルメットと近接した場所に存置されていた。また、室内に、グローブやボールは存在しなかった。

右二段伸縮式鉄パイプは、伸ばすと七四ないし七六センチ、縮めると四二、三センチになるもので、いずれも滑り止めのテーピングが施されていた。

同室の北側壁面の黒板には、「連絡」と記載され、M大中執委及びM大学生田校舎五号館一号室の電話番号等が記載されている。

また、右黒板の左側の壁に貼られた摸造紙には、自治委員総会の定足数を検討した表が記載されている。同総会開催の責任者は、委員長代行の原告乙山であり、原告乙山は、事前に定足数を確認した。

同室は、全学自治会の管理の下、丙川の知り合いやOB等の学外者が出入りしていた。

14  竹内は、三五号室等から鉄パイプ等の凶器が発見されたことから、原告らを凶器準備集合罪の現行犯人と認め、午前一一時二〇分ころ、本件被疑事実で、捜索終了後立ち去った山川強を除く原告ら立会人五名を逮捕した。

警察官らは、右逮捕に伴い、逮捕現場における捜索差押を実施し、原告乙山から金属製バット一本、木製バット一本等を戊沢寛から笛等を、丙川及び海野から鉄パイプ三本、金属製バット五本、木製バット四本、金槌二本、笛等をそれぞれ押収した。

15  A裁判官は、七月一〇日、検察官からの勾留請求に基づき、凶器準備集合罪により、原告らの勾留を決定した。

二1  被告県に対する請求について

右事実によれば、ことに平成八年五月一四日にK県内において本件内ゲバ事件が発生し、革労協が軍報や機関誌上において右犯行を自認し、「五・一四戦闘に動転した革マルのあらたな反革命テロ襲撃を迎え撃ち、さらにさらにせん滅しようではないか。」などと革マル派への更なる報復を呼び掛け、それに対し、革マル派も機関誌上において、「五・一四謀略殺人襲撃に断固たる反撃の烽火」「青解派を解体しつくせ。」などと革労協に対する反撃を呼び掛けるなど両派の対立が緊迫化していたこと、K大学自治会が神奈川県における革労協の活動の重大な拠点の一つであり、過去に同大学内において革労協の活動家が革マル派に襲撃される事件が発生していたこと、原告甲野ら革労協活動家は、K大学構内に、革労協の犯行を自認し、革マル解体絶滅戦への総決起を呼び掛けた軍報を添付した立看板を掲出したこと、その後、原告甲野らに武装化の状況がうかがえたこと、本件捜索の対象とされた三三A号室から三五号室は、隣接し、自治会が鍵を管理して一体として使用していたところ、三五号室は外部からの侵入や攻撃を防ぐために要塞化され、内部に鉄パイプ三本、金属バット五本、木製バット四本等の凶器やヘルメット多数が存置されていたこと、原告甲野は、革労協の全国拠点であるM大中執委の委員長を四年間つとめた後、平成八年四月にK大学に入学して自治委員として活動し、本件捜索の際も三五号室のダイヤル錠を開けた者であり、原告乙山は、平成四年にK大学に入学し、同年五月以降自治委員として活動し、平成五年一二月から休学のため資格を失う平成六年三月まで自治会委員長、平成八年四月以降は委員長代行をつとめたものであって、三五号室の状況については当然知悉していたと認められることに照らせば、竹内が、原告らは、革マル派から襲撃される可能性のあることを予想し、その際にはこれを迎撃して相手方の生命、身体又は財産に対し共同して害を加える意思を有して凶器を準備し、あるいは右準備のあることを知って集合したと疑うに足りる相当な理由があると判断したことが一見明白に行き過ぎであり、経験則や論理則に照らして到底合理性を是認できないとまでいうことはできない。

2  被告国に対する請求について

原告は、「裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認めうるような特別の事情」について何ら主張しないから、主張自体失当である。

三  結論

以上によれば、原告らの各請求は、いずれも理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法六一条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官髙柳輝雄 裁判官足立哲 裁判官中田朋子)

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